「動機善なりや。私心なかりしか」―稲盛和夫氏に学ぶ究極のセルフコーチング

Coaching

大きな決断を迫られたとき、あなたは誰かに相談するだろうか?それとも自分で決める?どんな自己対話をするだろうか?何を基準に判断するだろうか。損得か、名誉や地位か、それとも純粋な使命感か。もしもその時に「この動機は善か、そこに私心はないか」と問い続けたら、進む道は変わるだろうか。

1980年代、日本の通信事業は大きな転換期を迎えていた――。

通信事業の民営化

1980年代、日本の通信事業は大きな転換期を迎えた。戦後一貫して独占体制にあった日本電信電話公社(電電公社)が民営化され、新しい競争環境が誕生した。高止まりしていた通信料金を下げ、国際競争力を高めることが国策だった。いわば「通信自由化元年」とも呼ぶべき瞬間であり、多くの企業に開かれた新たな可能性だった。

動機は「日本の通信費を安くする」

京セラを率いた稲盛和夫氏は、民営化に深い関心を寄せていた。彼の動機は自社の利益ではなく「日本全体の通信費を下げ、国民生活を豊かにする」という志だった。

当時、国際電話は1分数百円という高額負担だった。国内通話ですら高額で、東京と大阪をつなぐ公衆電話では、受話器を持った瞬間からチャリチャリと100円玉が落ち続けた。わずかな会話で数百円が消え、重要な話でもじっくり交わすことができなかった。

稲盛氏の目的は、誰もが安価で自由に通信できる社会を実現することだった。

大手企業が参入しない中での決意

日本を代表する大企業は通信事業への参入に慎重だった。莫大な設備投資、電電公社との競争に勝つ展望の欠如。そんな中で稲盛氏は、通信事業への参入を決意した。判断基準は利益ではなく、「日本のためになるかどうか」であった。この決断に、経営哲学の真髄が表れていた。

「動機善なりや。私心なかりしか」

巨大事業への挑戦には重い責任が伴った。京セラの社員や株主に大きなリスクを背負わせる決断だったからである。そこで稲盛氏は、半年間にわたり自問自答を繰り返した。

「動機善なりや。私心なかりしか」

利己心や名誉欲が混じっていないか。純粋に世のため人のためを思っているか。徹底的に自らに問い直す営みだった。

ひたすら、自らの良心と向き合い続ける。心の鏡に決断を映し出し、濁りを取り除く営み。これはまさに究極のセルフコーチングであった。自らの動機に一点の曇りもないことを確信した稲盛和夫氏は第二電電(DDI)の設立に踏み切った。

多くの大手企業の参入が続く

第二電電(DDI)の設立によって、状況は一変した。

稲盛氏の挑戦に触発され、多くの大手企業が次々に参入を表明した。「稲盛がやるなら自分たちも」という空気が広がり、競争は一気に活性化した。結果として国民の選択肢が広がり、通信料金の引き下げへとつながった。

第二電電の生き残り

その後の競争は熾烈を極めた。多くの新規参入企業が撤退や合併を余儀なくされる中で、第二電電は生き残った。そしてKDD、IDOと統合し、現在のKDDIへと発展した。

理念を軸にした稲盛和夫氏の挑戦は、今に続く成果を生み出した。動機の純粋さが持つ力を証明した結果だった。

ビジョンの実現

今日の日本の通信環境は、世界的に見ても安価かつ高品質である。スマートフォンで誰もが動画を楽しみ、海外の人々と自由に会話できる社会。その背景には、稲盛和夫氏が心に描いた「通信費を国民にとって負担の少ないものにしたい」の思いが先にあった。

もし彼が「動機善なりや。私心なかりしか」と自らに問い続け、純粋な動機での参入を決意しなければ、この環境の実現は大きく遅れていたに違いない。

セルフコーチング

稲盛和夫氏の問いかけは、単なる経営判断を超えた「生き方の軸」である。大きな決断を迫られるとき、人はどうしても損得や名誉欲に心を奪われる。そのときに「動機善なりや。私心なかりしか」と問い直すことによって、動機を純化し、迷いを振り切ることができる。

セルフコーチングがビジョンに力を吹き込み、世界を変える。そのセルフコーチングが創った世界に私たちは生きている。

人生の岐路においても、日々の選択においても、この問いを自分に問いかけることによって、より真摯に、豊さへの道を歩むことができると信じる。

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