第1巻の塩野七生氏の「何がローマをして強大な文明圏を作らせたのか?」の問いに、第2巻で自らひとまずの答えを示す。その答えは開放性。キリスト教やフランス革命のパラダイムに囚われていない紀元前2世紀ー紀元後2世紀の3人のギリシャ人の歴史家の著作からこの答えを導き出している。
古代の史家を参照した4つの理由
塩野七生氏は、ローマを書く際に学んだ西欧の研究書や歴史書について「参考にはなるがしっくりと腹に落ちなかった」と述べている。氏にとって「しっくりと腹に落ちた」のは、原史料と言われる古代の史書を読み始めてからだと述べる。その4つの理由は以下の通り。
- ローマ興隆の理由を精神的なものに求めずシステムに求めていること
- キリスト教信者では無いこと
- フランス革命による自由・平等・博愛の精神に縛られていないこと
- 問題意識の切実さ
この中の2:キリスト教と 4:自由・平等・博愛のパラダイムについて考えてみたい。
理由2:キリスト教のパラダイム
ローマ勃興時代の歴史に生きた人々はキリスト教者ではない。キリスト教の眼鏡をかけていない日本人である塩野七生氏には、キリスト教の中にいる近代の史家が、キリスト布教以前のローマを語る言葉に違和感を感じ、逆に、キリスト教に囚われてない古代の歴史家の言葉がそのまま腹に落ちたのだろう。
理由4:自由・平等・博愛のパラダイム
自由・平等・博愛のパラダイムの中に私もいる。しかし、氏の「ペリクレス」と「アウグストゥス」の比較の事例には考えさせられた。この二人はいずれもその英知を持って国を治め万民に大いなる平和と富をもたらした。しかし民主主義のパラダイムからこの二人を比べると
- ペリクレス :民主政の旗手
- アウグストゥス:事実上の帝国の完成者
と正反対の評価になるという。これがパラダイムの中で歴史を評価するということなのだろう。私自身は、塩野七生氏の著作を読んだせいかもしれないが、この二人については大きく共通点を感じる。
サピエンス全史でユヴァル・ノア・ハラリ氏はホモ・サピエンスを生き残らせた「虚構」について述べている。なるほど「宗教」も「民主主義」も一つの強大な虚構なのだろう。
ローマが興隆した3つの要因
塩野七生氏はローマが興隆した要因について、氏にとって「しっくりと腹に落ちる」古代の3名ギリシャ人の史家の資料からそれぞれ一つを抽出している。
- ディオニッソス:宗教についての寛容性
- ポリビウス :共和制独自の政治システム→ 執政官・元老院・市民集会
- プルタルコス :敗者をも自分達と同化する寛容性
塩野七生氏は、この3つ全てが要因であること。さらにこの3つの要因の背景にローマ人の開放性という性向があったと結論づける。
塩野七生氏の結論
知力ではギリシャ人に劣り、体力ではケルト人やゲルマンの人々に劣り、技術力ではエルトリア人に劣り、経済力ではカルタゴ人に劣るローマ人が、これらの民族に優れていた点は、彼らの持っていた開放性にあったのではないか?と自らの問いに結論をつけている。さらに
だからこそ、ローマの戦士の軍靴の響きはとうの昔に消え、白亜に輝いた建造物の数々も瓦礫の山と化した現代になってなお、人々は遠い昔のローマを、憧れと敬意の眼差しで眺めるのをやめないのではないだろうか?
ローマ人の物語 第2巻より
と、綴る。さらに
古代のローマ人が後世の人々に遺した真の遺産とは、広い帝国でもなく、二千年経ってもまだ建っている遺跡でもなく宗教が異なろうと人種や肌の色がちがおうと同化してしまった彼らの開放性ではなかったか?
ローマ人の物語 第2巻より
と、問いかけてくる。
まとめ
この開放性への問いかけを受け止めてみたい。ローマ人はその開放性のゆえに歴史上、類を見ない大きな、且つ、豊かな文化圏を作り上げた。今も「ローマ」という言葉の印象は明るい。人は開放性によって豊かになれるという前例を示してくれているのかもしれない。
私たちは開放的なのだろうか?宗教や、肌の色や、民族、考え方、嗜好、あらゆる違いに対して寛容でいるだろうか?いまだに些細な違いを言い立てて争ってはいないか?
そう考えると実はこのネット空間は成長しつつある開放的な場所の一つなのかもしれない。実際に、このブログで、歴史家でも哲学者でも政治家でもない私が、思ったことをそのままに発信できている。
簡潔で明快で品位に溢れたペリクレスの演説 塩野七生氏「ローマ人の物語」第2巻より①
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