「織田信長」に少しでも興味のある人にはこの本は必読 秋山駿ー「信長」

【座右の書ー他】
"Reading book, canon 1Ds mark III"

織田信長という人間を描こうとした本の数々

最初に織田信長を知ったのは山岡荘八の「織田信長」だった。颯爽と時代を駆け抜ける織田信長という人物の魅力に夢中になり何回もこの本を読み込んだ。

井沢元彦氏の「逆説の日本史 9-10巻」では9巻の途中から10巻全部を使って織田信長について書いている。桶狭間の後、今川領に目もくれずにそのまままっすぐに美濃に取り掛かった信長。その初めから「天下統一」というグランドデザインを描き、真っ直ぐに挑んでいった信長の姿を描いている。

塩野七生氏は「男の肖像」で一章を割いて織田信長を書いている。氏にとって信長もカエサルと同じ様に魅力的な男の一人のようだ。織田信長の日本人に与えた最大の贈物は政教分離であり、武力を用いる宗教への免疫であると書いている。なるほど。宗教戦争の凄惨な歴史を持つヨーロッパからみて初めて見える視点なのだろう。

辻邦正氏の「安土往還にはイエスズ会と一緒に来日したイタリアの船員の目を通して「事を成す」ために「理にかなう事」だけを物差しにして生きる真摯な男が描かれている。

信長がこの日本に残した仕事

では、織田信長の成し遂げ、この日本に残した仕事は何があったのか?。多くの人が語っている事を書き出してみた。

  1. 天下布武という宣言に示される「日本を統一する」という意志と行動
  2. 徹底した実力主義による人材活用
  3. 楽市楽座に見られる自由経済
  4. 関所の廃止に見られる流通の自由化
  5. 安土宗論に見られる宗教の位置付け
  6. 鉄砲や長槍の採用、鋼鉄船に見る武器の改革と採用
  7. 宣教師との交流で見せた外交力
  8. 自らの居場所を移動し、新しい土地に名前をつける都市建築

なぜこんな事を戦国時代の信長が思いつくのか?モデルはあったのか?これは桁外れに時代を超えていないのか?天才とはそいういうものなのか?誰かが「中世にいきなり現代をはめ込んだような不自然さ」を感じると言っていたほどに、彼の行動の軌跡は時代を超えている。

必ず押さえておくべき 秋山駿の「信長」

そしてこの秋山駿の信長に出会う。

秋山氏は信長の精神を理解しようとして、「信長公記」や「武功夜話」などの資料に切り込んでいく。記録に”言葉が残って無い”信長の精神にプルタークやゲーテ、スタンダールの言葉を借りて、信長という一人の「天才」の姿を目に見えるように見せてくれる。

①信秀が亡くなってまず自分の力を徹底して削る。権謀術数を駆使して味方を増やすのではなくその逆を行う。曖昧なものを全て排除してまずは自分の原点ににたどり着こうとする。スタンダールの言葉を借りて、「絶対的に自分自身をしかあてにしない変わった人達」の一人だと評する。

②一番最初の小牧山への移転の時点から、既に自らの居場所を次々に変えていく信長の精神を描く。「何もない処へ自分が単身先頭を駆けていき自分を中心に新しい世界を創造する」岐阜という、新しい自分の居場所に新しい名前をつけて新しい都市を建築する。そういう生のスタイルなのだと説く。

③朽木越えの信長を「危急の瞬間、人は30分あれば最高の判断を下す」として信長は、逃げたのではなく、「戦争の真の中心である京都に単身先頭を切って一直線に駆けた」と描く

④元亀元年の四面楚歌の中の信長に英雄の相貌を見る。「自分以外に拠り所を持たぬ確固たる決意」を持って「その当時の天下が反対するもの、天下の誰一人とし良く言わず、彼の部下さえ反対する」独創的な行動を起こす。難局に直面した時に、徹底して自分自身しか依存せず最高の表現をする。それが比叡山の焼き討ちであり、一向一揆勢の根切りである。歴史の画布に天分の精神力で信長の刻印を刻む。

⑤彼の革新は戦争に止まらず、政治にも文化にも”古き”を破壊し常に新しい生命を求める続ける。「坐り込んでいるものを信長は許さない。掟はただ一つ、絶えざる出発と行進である」

⑥「理想を、己れの精神の内奥の秘密と化し、己れの日常の生の波動と化している人、理想を一秒の休みもなしに刻々の火と化している精神力の人」であり続け

⑦「既に自らが果たした仕事を向こうに廻して、これを超えるべく将来の仕事に抱負をかけ続ける」

信長はまず自らを削り、新しい人間を集め、宗教から戦いを奪い、都市を起こし、天下布武の旗を掲げ、経済を発展させた。言葉ではなく自らの軌跡のみで彼の見える世界を示し、この国を作ったのだろう。

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