コーチングをする中で【傾聴】と【受容】の効果を日々実感している。ふと塩野七生氏『ローマ人の物語』で読んだ「夫婦喧嘩の守護神」のエピソードを思い出した。改めてこの本を紐解いてみるとこのヴィリプラカ女神は実はコーチングの名人だったことに気づく。
『ローマ人の物語』
塩野七生氏『ローマ人の物語』の文庫本シリーズの第1巻「ローマは一日にして成らず」にこのエピソードの記述を見つけた。そもそも古代ローマにはたくさんの守護神が存在していたことからエピソードは始まる。
- ユピテル :最高神
- マルス :軍神
- ヤヌス :門の神
- ケレス :農業
- バッカス :葡萄酒
- マーキュリー:経済
- アスクレピアス:医者
- ユノー :幸福な結婚と女の立場
- ビーナス :美と愛欲
キリスト教という一神教が席巻する前の時代の古代ローマ。日本の神道の「八百万の神々」を想起させる。
ヴィリプラカ女神:夫婦喧嘩の守護神
その中で愉快な守護神としてヴィリプラカという女神が紹介される。この女神の担当分野は夫婦喧嘩。夫婦喧嘩にすら守護神をおいた古代ローマ人の心根になんとなく親しみを覚える。
さてこのヴィリプラカ女神は、どのようにして「犬も食わない夫婦喧嘩」を裁いたのか?
夫婦喧嘩が始まると・・・
夫と妻の間に・・・口論が始まる。双方とも理は自分にあると思っているので、それを主張するのに声量もついついエスカレートする。黙ったら負けると思うから、相手に口を開かせないためにもしゃべりつづけることになる。こうなると相手も怒り心頭に発して、つい手が出る、となりそうなところをそうしないで、二人して女神ヴィリプラカを祀る祠に出向くのである。
塩野七生『ローマ人の物語』文庫本第1巻より
この言い合いする光景に身に覚えはないだろうか?相手を押さえつけるように主張している内に、相手だけではなく自分自身すら抑えることができなってしまう経験。。。確かに身に覚えがあるような・・・
では、祠を訪れた二人を女神はどう裁くのだろうか?
女神の祠とルール
そこには女神の像があるだけで、神官も誰もいはしない。・・・女神の祠にはそれなりの決まりがあった。神々を信ずるローマ人は、監査役などいなくてもそれは守ったのである。ヴィリプラカ女神を前にしての決まりとは、女神に向かって訴えるのは一時に一人と限る、であった。
祠にいるのは当事者2人と女神だけ。ルールは「訴えは一人ずつ」とシンプル。これに従ってまず一人が女神の像に向かって話し始める。
さて、何が起こるのか?
【傾聴】している3人
もちろん女神は口を挟まずにその訴えを黙って【傾聴】してくれる。しかしこの女神の他にも【傾聴】している人があと二人いることに気づく。
こうなれば、やむをえずとはいえ、一方が訴えている間は他の一方は黙って聞くことになる。黙って聞きさえすれば、相手の言い分にも理がないわけではないことに気づいてくる。
ここに記されているようにその一人は、夫婦喧嘩の相手方。女神の掟に従うと話を遮ることはできない。黙って聴くしかやることがない。仕方なく聴いているうちに相手の理を理解し始める・・・と塩野七生氏は説明する。
しかし本当にそれだけで和解するだろうか?もう少しこの現ヴィリプラカ女神の祠の場を想像してみた。
3人目の【傾聴者】
するとさらにもう一人その主張を聴いている人がいることに気付く。それは訴えている本人自身。
静かな祠に響くのは昂った自分の声だけ。誰も自分の主張を遮ることはない。自分の主張だけが聞こえてくる。
聴いているうちに、主張を続けている自分の姿を、つい俯瞰して見てしまうのではないか?
すると・・・自分の主張って本当に正しいの?と不安を覚え、自然と口調も落ちてくる。
【受容】まではいかないが【沈黙】
さらに【受容】まではいかなくても・・・女神も夫婦喧嘩の相手も自分の主張に対して【沈黙】を守っている。
「何も肯定しない女神」の前で「何も言い返さない相手」に対して、いつまでも怒りのエネルギーを保ち続けることは容易ではない。
判決は「和解」
これを双方で繰り返しているうちに、興奮していた声の調子も少しずつ落ち着いてきて、ついには仲良く二人して祠を後にする、ことにもなりかねないのであった。
ヴィリプラカ女神の判決はどうも和解ということになるらしい。
【傾聴】と【受容】
最初は一つの愉快なエピソードとして読んだヴィリプラカ女神=夫婦喧嘩の守護神の話。
このエピソードを改めて紐解いてみると
- ヴィリプラカ女神の裁きの結論は和解であり
- 和解をもたらしたプロセスはコーチングの基本である【傾聴】と【沈黙】だったことに気づく。
こう考えてみると真のコミュニケーションを成立させるための基本は、昔から変わらずに【傾聴】と【受容】だったということを知る
それにしてもヴィリプラカの女神はなかなか手練れのコーチである。
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