亡くなった親父の言葉で忘れられないのは、死ぬ前に一つで良いので秀句を作りたい。という言葉。特に
「生きかはり死にかはりして打つ田かな」
のような句が作りたかったそうだ。村上鬼城という人の俳句。親父はこの俳句に何を見たのか?
人の営みは、100年、1000年と変わらず続けられている。ここで田を打つ。人は代替わりを続けながら。「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という方丈記の言葉と響き合う。
地方で高校の教師として生き抜いた父の何かと共鳴したのだろう。
私は「プレバト」で夏井いつき先生の番組を楽しむようになった。余分な説明を省き、過剰な形容詞を削っていく。なんとなくもやもやした俳句が一気に命を宿し、生まれ変わる。
「死ぬまでに秀句を一句残したい」親父の言葉は私の「死ぬまだにやりたい100」のリストに引き継がれている。
親父が納得の秀句を物したのか?残念ながら、今ではわかるすべはない。
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