この巻ではまず圧巻はペリクレスの演説。日本では縄文時代。この時代にこの演説が成り立つ社会があった事に気が遠くなるような思いに駆られる。その世界史に輝くペリクレスの時代にギリシャを視察したにも関わらず、民主政を採用しなかったローマ。なぜ?と問う塩野七生の答えを辿る。
ペリクレスの演説
今から2,500年前のギリシャのペリクレスの演説を塩野七生氏が抜粋して紹介している。日本では縄文時代の末期。「2,500年を経た今、このペリクレスのように簡潔で明快で品位にあふれた演説ができる指導者を我々は持っているか?」と氏は問う。演説を引用する。
民主政
われわれアテネ人は、どの国の政体をも羨望する必要のない政体をもっている。・・・少数の者によって支配されるのではなく、市民の多数が参加するわれわれの国の政体は、民主政と呼ばれる。この政体下では、すべての市民は平等な権利を持つ。公的な生活に奉仕することによって与えられる名誉も、その人の努力と業績に応じて与えられるものであり、生まれや育ちによって与えられるものではない。貧しくとも、国家に利する行為をした者は、その貧しさによって名誉からはずされることはない
ローマ人の物語 第2巻より
自由・教養・娯楽
われわれは公的な生活にかぎらず、私的な日常生活でも、完璧な自由を享受して生きている。アテネ市民の享受する自由は、疑いや嫉妬が渦巻くことさえ自由というほど、その完成度は高い。・・・それでいながら、日々の労苦を忘れさせてくれる手段である、教養と娯楽を満喫し、競技や祝祭は一年の決まった日に催され、住居も快適に整える大切さを忘れていない。
ローマ人の物語 第2巻より
勇気・行動原則
われわれは、試練に対するにも・・・われわれの一人一人がもつ能力を基とした決断力で対する。われわれが発揮する勇気は、慣習に縛られ法によって定められたから生まれるのではなく、アテネ市民一人一人が日々の生活をおくる上でもっている各自の行動原則から生まれる。
ローマ人の物語 第2巻より
中庸
われわれは美を愛する。だが、節度を持って。われわれは、知を尊ぶ。しかし、溺れることなしに。われわれは、富を追求する。だがこれも、可能性を保持するためであって、愚かにも自慢するためではない。アテネでは、貧しいことは恥ではない。だが、貧しさから脱却しようと務めないことは、恥とされる。
ローマ人の物語 第2巻より
同じ時代の日本人は?
格調が高く、自信に満ち溢れたペリクレスの演説。その背景にある、個人が際立ち、民主、自由、教養、娯楽、富の概念が語られるギリシャの社会。
同じ時代の日本は縄文末期。基本的に狩猟・採集の時代。この圧倒的な時間の差異に気が遠くなるような思いに駆られる。縄文末期に住む日本人は何を悩み、何を考え、何を目指し、何を成し遂げていたのだろうか?ここも改めて見つめてみたい。
民主政を取り入れなかったローマ視察団
このペリクレスの「治世?」が最高に機能していた時代のギリシャを、まだまだ発展途上のローマ視察団が訪れ1年間滞在している。視察団の目的はローマの法律「十二表法」を作ること。
しかし彼らはこのこのギリシャの民主政を取り入れていない。ギリシャの民主政をどう見たか?その報告の記録は残っていない。しかしローマが結果として選んだのは、執政官・元老院・市民集会の仕組み。この民主政は取り入れていない。
民主政を取り入れなかった理由
塩野七生氏は推測する。ローマ視察団のメンバーは、この民主政に「ペリクレスという史上稀な卓越した指導者によって初めて機能し得るシステム」としての弱点を見たのでは?と。実際にその後のギリシャはいわゆる「衆愚政治」に堕していく。
今も、民主主義、自由、個人の尊厳、資本主義の価値と存続が問われている。ギリシャやローマで既に多くの政治体制の試行と実験が重ねられている。
効率と正義のトレードオフ。現代のコロナ対応では中国の強引な政策の効率も見ている。ローマ視察団は「民主政」を選ばなかったように見えるが、実はたとえ時間がかかっても「一人に頼らない」政治体制を選んだのだろうか?
まとめ
ローマ人の物語の第2巻もたくさんの気づきと驚きを与えてくれる。魅力的な登場人物であるペリクレスの物語を塩野七生氏の「ギリシャ人の物語」で近いうちに読んでみたい。
一方で、民主政を選択しなかったローマが勃興していく理由について、この2巻の後半で語っている。その塩野七生氏の答えを、次は辿ってみたい。
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