一旦、少しだけ日常に戻りつつあった日々がまだ騒がしくなってきた。一旦減少していた患者数が増えている。しかし皆、再度の緊急事態宣言には躊躇しているようだ。未だ、このコロナとの付き合い方の間合をはかるのにもう少し時間がかかるのだろう。
このコロナ緊急事態宣言期間にテレワークを経験した。会社生活35年間で初めて「昼休みに家でお昼の用意をする」という経験をした。やってみるとテレワークでの仕事にはそんなに不便は感じない。むしろ移動負荷の減った分だけ効率は上がる。
一方で工場では皆が現場で生産性を1秒上げるために必死で頑張っている・・と思うと工場で仕事をしてきたこともあり、そんな中での「自宅でのテレワーク」にどうしても躊躇は残る。ある事業所の所長をしている同じく工場で働いてきた先輩と話をする機会があった。
彼曰く
「在宅になってスタッフの仕事を時間で測れないのでいよいよ成果で評価する工夫しなければなくなった。スタッフの中にはほとんど成果の出る仕事はしていない人がいる。それは”テレワークだから”でもなんでもなく、これまでもそうだった。本気で仕事している奴は在宅になってもやっぱり仕事はすると思う。でも普段からやっていない人は在宅になってもこれまで通りにやらないだけ。でも”テレワーク”の仕事を成果で評価するようになると、効率の違いはうかびあがってくると思うよ。」
スタッフ=簡単には目に見える出来高で仕事の効率を測れない仕事をしているメンバーが試練に晒されるのはこれからもしれない。スタッフの生産性を問われる。と言うより積極的に”問うべき”なのだろう。ただ会社に長い時間居ればなんとなく働いていたように見えてみたがそうはいかなくなる。
スタッフの生産性という言葉で思い出した光景がある
以前、ある海外の企業からのお客様を迎え交渉をする機会があった。30歳をいくつも過ぎていないだろう彼女は午前9:30に会議室に現われて10:30のUS本社との打ち合わせ時間迄に納期の状況をまとめるように依頼した。「誰がやってくれますか?」との質問に我々のメンバー「A」が「では私が」と手を挙げた。「わかりました。ではお願いします。」と、会議は進んだ。
30分後、彼女はその「A」に「どのくらい進みましたか?」と問いかけた。そのメンバーが「実はこれからです。今ベースデータをメールで送ってもらっていて・・・」言いかけると、明らかにそのお客様の顔色が変わった。会議室に緊張が走った。すかさず別の我々のメンバー「B」が「その件はたまたま私がベースデータを持っていましたので私がやっています。」とフォローに入った。ホッと安心しかけた私の耳に聞こえたのは
「何故同じ仕事を二人でやるんですか!!」「なぜそんな無駄なことを!!!」
スタッフの生産性を徹底して追求して仕事をしている企業で働いている人間の言葉だった。
この会社では会議はどんな会議でも1時間と決まっているそうだ。
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