『復活の日』ユージン・スミルノフ教授の最期の講義:託された小松左京氏からの60年前のメッセージとは?

人類の存続のために

何度、読み返しても小松左京氏の『復活の日』には魂を揺さぶられる。コロナを経験したことによってさらにその思いを強くする。小説の中で語られるフィンランド、ヘルシンキ大学のユージン・スミルノフ教授の最後の講義。そこに託された小松左京氏の60年前のメッセージを数回にわたって読み解く。

人類社会の崩壊

この小説はウィルスによる人類社会の崩壊の描写から始まる。まるでコロナによるパンデミックを見ていたかのような正確な描写。

研究室から漏洩したウィルスがまたたく間に世界中に拡散。抗いようのないウィルスの蔓延により、アメリカ、ヨーロッパ、日本と区別なく、坂道を転げ落ちるように一気に社会は崩壊の一途を辿る。政府もその機能を失い、各地で人が死に絶え、人類は滅亡に向かう。

最期の講義

まさに滅びんとしているフィンランド、ヘルシンキの放送局からまだ生き残っていたユージン・スミルノフ教授の最期のラジオ講座が始まる。

教授は、冒頭に「学者として講義しつつ死ねることは無上の幸福」と語りながらも、次の言葉を続ける。

・・・地球はふたたび、いつの日か、高等な知的生物を──人間以外の意識をうみ出し、その意識によって照らされるでしょうか? いったい何億年のちに?──人類は、この暗黒の、孤独な天体の、誕生より終末にいたる生涯の中で、この天体自身にとっての、唯一のチャンスだったのではありますまいか? 人類が失われたことによって、人類にとってのみならず、この大宇宙の大洋にうかびただよう、一粒の塵のごとき天体にとっての、たった一つのチャンスは失われたのではありますまいか?“

小松左京氏『復活の日』 八月第二週 より

ほとんどの人が死に絶えた社会に発信する教授のラストメッセージ。誰にして語っているのだろうか?

地球にとっての「人類」

メッセージは「地球は・・・」から始まる。主語は地球。地球という抽象度の高い視点から「今まさに滅びんとする人類」を俯瞰して講義が始まる。

この地球という天体にとって「人類」とはどんな存在だったのか?その存在にどんな意味があり得たのか?

教授は、人類を「自らを生み出した地球、あるいはそれを含むこの世界を照らすことのできる【意識】を持つ者」と語る。

人類とは自らと世界を照らすことのできる【意識】を持つ者。この意味をさらに考えてみる。

意識とは

この『復活の日』に限らず、小松左京氏は他の本でも、「自らと、自らを生み出したものを照らす【意識】」を語る。

小松左京氏の傑作『果てしなき時の流れの果てに』の中で、主人公の野々村が【意識】について語る。

「果てしなき時の流れの旅」に旅立つまさにその直前に、大阪のホテルで恋人と一緒に過ごしている野々村。ベッドで天井を見上げている彼の【意識】が「スッ」と天井を超えて宇宙に舞い上がる。

・・・宇宙の極限に描き出される巨大未知の文字は、彼をして、あらゆる制約をこえた果てにある、純粋な「知ることへの喜び」へといざないよせるのだ。・・・

虚無とは何か?『時』の流れの果てにあるものは?宇宙の終末は?そして、地を這うものの末裔の、暗黒の心の中に芽ばえながら、なおみずからをうみ出したものをこえて、純一で透明なフィルムとして、宇宙と同じ大きさにひろがり得る意識とは?“

小松左京『果てしなき時の流れの果てに』 第二章 現実的結末 より

ここでは【意識】が「純一で透明な、宇宙と同じ大きさに広がり得るフィルム」として語られる。

小松左京は人類の【意識】を

【自らを含むこの宇宙の全てを正確に映し出すことのできる鏡としての知性】

そう考えていたと私は思う。人類が【意識】を持てた価値を奇跡のように捉えていたと考える。

意識を持つ者の可能性

この【意識】を持つ者としての私たち人間の可能性にワクワクしないだろうか?

我々は、確かに進化論で語られるように“地を這うもの末裔“ある。しかし同時に【意識】を持つ者となりその【意識】が自らを認識し、さらにこれを超えた認識力を持った時に、一つ大きな階梯を登ったのではないか?

さらにそれは人類が「次」に進む大きなチャンスを手にしたことを意味するのではないか?

そんな人類の未来を思うとその可能性にワクワクしないだろうか?

唯一のチャンス

『復活の日』に戻る。

このなかで、ユージン・スミルノフ教授は、今、まさに失われようとしている「【意識】を持つ者としての人類の存在」を地球にとって「唯一のチャンス」だったのでは?と振り返る。人類の滅びの後、

  • いつの日か人類に代わる【意識】が生まれるのか?
  • それは一体、どれだけの時間の後なのか?
  • そもそもそのチャンスがやってくるのか?

そのチャンスはもうないのかもしれない。

人類の【意識】が「たった一度のチャンス」だったのかもしれないと悔やむ。

小松左京氏のメッセージ

地球から見える=死にゆく世界で最期を迎えつつあるユージン・スミルノフ教授から見える人類の姿。それは小松左京氏から見える人類の姿でもある。

小松左京氏にとっての人類は

  • 「【意識】という途方もない可能性を持つ者」・・・である一方で
  • 「いつ滅びてしまってもおかしくない儚い者」
  • そしてとてもとても愛おしい生き物

そんな存在だったのだろう。

幸い、私たち人類はコロナ後の今も生き延びている。そんな今『復活の日』を是非、読んでいただきたい。

単なる小説のストーリーとして決して必要ではないはずの「ユージン・スミルノフ教授の最期の講義」が多くのページを費やして、且つ、途方もない熱量で書き綴られている。それはなぜか?

  • 1964年に書かれているこの小説が書かれていること
  • その57年後にコロナが発生したこと

これは、今、生き残っている我々人類へのアラームでありエールではないだろうか?

あなたはこの60年前=1964年の小松左京氏のメッセージをどう受け取るだろうか?

読んでみてそのメッセージを一緒に考えて欲しい。

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