進化する自動運転技術と激減している交通事故による死者数
自動運転は日に日に進歩している。レベル2、レベル3の自動運転が実用化され始めている。運転に関わる部品にも関係している仕事柄多くの情報が入ってくる。各社はより早くより高度な自動運転技術の実装を競っている。
車載部品に対する品質要求は高い。単に製品の品質を要求されるにとどまらない。品質の良い製品を作り続けることのできる「仕組み」についても高い要求を受ける。やりがいのある仕事。
実際に日本における交通事故による死者数は激減している。1970年の16,765人をピークに減少を続け、2021年度の死者数は2,636人にまで減っている。
昨年9月にトヨタ「Mirai」を購入した。実装されている「Advanced Drive」は高速道路で一定のレベルの自動運転をしてくれる。道路と周りの環境が良い時には手放し運転も可能。前方から視線を逸らすとシートベルトが振動して注意を喚起してくれる。
・・・でも本当に「自動運転」を必要としているのは誰だろうか?・・・
母にとって「車」とは
85歳まで田舎で一人暮らしをしていた母を昨年亡くした。車の運転が大好きで、病院も、買い物も、健康体操も車でスイスイと通っていた。あとは俳句の句会も。
母が運転免許を取ったのは50歳を超えてからだった。これをきっかけに母の行動範囲は大きく広がった。翼を持った鳥のように羽ばたいた。地域の福祉協議会に入り、婦人会の役員をやり、健康体操、俳句と活動は広がった。地域の「老人給食」の取り組みを始め、これを成し遂げた。その事を四国まで行って講演をしたこともあった。母にとって車は「生き方を変えるきっかけ」だった。よほど楽しかったのだろう。自動車学校の「同期会」までやっていた。
そんな母も年齢を重ねて少しずつ車の運転に不安を覚え始めたのだろう。あるとき、友人を乗せることはやめると宣言をした。それでも自分一人での運転は続けていた。自分の責任は自分で取れると思っていたのだろう。それでも少しずつタクシーの利用は増えていった。
2020年の1月、美容院にタクシーで行った母は、帰りのタクシーがなかなかつかまらず、真冬のタクシー乗り場で1時間近く待たされた。体は冷え切って咳が出始めた。数日後に肺炎をおこして入院した。コロナの少し前だった。その後、一旦は退院はできたものの、車の運転をできるまでに回復することはなかった。
高齢者の運転免許の返納
国は高齢者運転免許証の返納を薦めている。先日から75歳以上の違反歴のある高齢者に対する免許更新時の「実車試験」が始まったというニュースを聞いた。誤った運転操作による痛ましい交通事故のニュースを耳にする度にこれはやむを得ないことだとも思う。
一方で、地方に住んでいる高齢者の実態を考えるとすっきりと納得はできない。バスも電車も歩いて行ける距離にない。タクシーも簡単にはつかまらない。外に出なくなるとその分生きる喜びも減らすことになる。車は生活に欠かすことのできない手段であり、母のように生きる喜びだったりもする。
自動運転を本当に必要としているのは?
こう考えると「自動運転」が本当に必要なのは「高齢者」が使うことのできる車なのではないだろうか?長距離走行や高速道路での走りよりも日常の「足」替わりに使える「自動運転車」の方が社会から必要とされているのではないだろうか?要求されるSPECはもっともっと低くても良いはず。例えば
1 速度は30Km程度
2 長距離を走る機能は要らない
3 行き先が数カ所設定できる
そんな気軽に乗ることのできる「自動運転車」は作れないものだろうか?スーパー、病院、お墓参り、自宅、友達の家がセットできれば良い。そんな移動手段があれば母は今も故郷で運転をしていたかもしれない・・・
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